両手から零れ落ちたものを拾う為には、まだこの両手にあるたくさんのものをどこかにやらないと。
そうでないと彼に手を伸ばすことは出来ない。



<薬用ライフ・8>



「兄さん、いる?」
「吹雪、はいるぞ」
明日香のもっていた合鍵で、扉を開ける。 何度も声をかけるが返事はなく、どこかにいったのだろうか?と考えたとき、 散らばったビール缶が目に入った。
何かあったのだろうか?
吹雪は酒の付き合いはするが、つよいほうではない。 酒好きでもない。 じゃぁ、なんで好きでもなければ、強くもない酒をこんなに・・・。

「兄さん?いるんでしょう?」
明日香の声が若干こわばる。 普段は厳しい態度を見せるが、本当は兄の吹雪のことを誰よりも信頼し、そして心配している。 いつも名前を呼べば、嬉しそうに返ってくる声が聞こえず不安は募る。 ふと視界の隅でカーテンが揺らめいた気がして、目をこらす。
「明日香」
「どうしたの?」
指をさせば、明日香もそちらに視線をむけた。
「ベランダの窓が開いて・・・」
ふわふわとこちらを嘲るように揺らめき続けるカーテンを脇に押しやる。

「・・・吹雪」

「・・・・・兄さん」


「明日香・・・・亮・・・」
ベランダの手すりにもたれるように外を見ていた吹雪が、やっとこちらに気づいて振り返った。
「きてたのか。どうしたんだい」
罰の悪そうな顔で、いつものようにおどけてみせる。 しかしそのいつもの仕草に不似合いな目元の赤は、おどけてみせた吹雪の顔を情けなくした。
俺の知っている吹雪はこんな奴ではない。 陽気な性格と同時にぴりぴりと張り詰める空気と鋭い目をもち、堕落することを許さなかった天才。 なのに・・・今のあいつは自ら堕落することを望むように、ただ空虚を抱き続ける死者のようだ。 無理につくられた表情がいたいたしい。


「兄さん」
つかつかと歩み寄る明日香。
顔は伏せられていて表情は分からないが、明らかに機嫌が悪い。
「明日香・・・?」


パシッ!!


「・・・・っ!どうして返事も連絡もくれないの!?」
泣くまいと息を呑んだ後、怒鳴るように責める声は震えていた。 震えた言葉と同じように、唇も肩も震え始める。
「明日香」
「どうして・・・」
「すまない。心配かけて」
震える肩を包むようにだきしめると、吹雪は苦い顔をした。


「何があった」
「・・・」
「吹雪」
「・・・・・・・・亮」


「藤原を思い出したよ」
「「!」」
明日香は驚きに、抱きしめられたままの体制で顔をあげた。

思い出した・・・・?一体何があって・・・。


言葉を失っていると、吹雪はポツリとつぶやいた。
「僕は本当に馬鹿だね。藤原のことを忘れるだなんて」